懐かしの佐佐木信綱先生
旧東海道は四日市から鈴鹿に入るとやがて石薬師の宿場となります。
この石薬師は至るところで信綱推し。
信綱というのは明治から昭和にかけての歌人であり国文学者であった石薬師出身の「佐佐木信綱」さんのこと。佐佐木信綱という名前、僕も以前どこかで聞いたことあったので、信長の野望に出てくる武将かなーと思っていたのですが、大きな勘違いでした。スミマセン、昔、大学時代の研究室に佐佐木信綱先生の本、たくさんあったの忘れてました…(国語国文学専攻だったので)
そんなわけで石薬師の宿場沿いの通りは信綱かるた道と言って、家々の軒先に信綱作品がこうして飾られています。
小沢本陣を過ぎてしばらく行くと信綱の生家があり、その横に佐佐木信綱資料館がありました。
僕は大学時代、それはそれはたくさんの信綱先生の本に囲まれて過ごしていたので、今回はパス。読んだことはなかったかもしれませんが。
その隣りにある石薬師文庫。これも信綱先生が寄付した建物で、今は地域の小さな図書館として利用されているようです。
石薬師は今は合併して鈴鹿市の一部になっていますが、もともとは石薬師町として独立していた町でした。それにしてはとても静かな場所で、おそらく旧東海道の僕が歩いたところが町の中心部だと思うのですが、商店街とか繁華街が全然ないので、町民みんなが佐佐木信綱先生のように清く正しく慎ましい、とても文化的な感じなのでしょう。
安藤広重の「東海道五十三次」にも描かれている石薬師寺は、高台にある石薬師の町から伊勢平野の谷底に向かう坂の途中にありました。参勤交代で石薬師の横を通る大名は、必ず自ら本堂に参り、道中の無事安全祈願のために浄財を寄進したのだそうです。
歌川広重 東海道五十三次 石薬師 石薬師寺 │ 当時の石薬師寺を描いた作品。収穫を終えたのどかな田園風景の左奥にあるのが石薬師寺。道中の無事を祈る参勤交代の大名の姿も見えます。
これは頂上側(四日市側)からの入口。ここは奈良時代の僧、泰澄が開いた寺で、本尊は弘法大師が自ら刻んだとされる薬師如来像ですが、これは秘仏になっていて普段は見ることができません。毎年十二月二十日のおすす取りの際に、開扉が行われるようです。
百度石の上に立つお地蔵さんの表情が、なんとも深くて印象的でした。
庄野の真代おかあさん
旧東海道、石薬師寺横の坂を伊勢平野に向けて下ると次の宿場は庄野宿なのですが、この2つの宿場間は3.3キロと短いのです(東海道の宿場間の平均距離は10キロくらいだと思います)。
坂を下ったところにある石薬師の一里塚を出て、広い国道1号に合流すると、やがて庄野宿の入り口にたどり着きました。
庄野宿の数少ない見どころは、この庄野宿資料館。
割とよくあるパターンなのはわかっていたのですが、ずっと歩き通しで疲れたので、途中休憩のつもりでぶらっと入ってみたら、誰もお客さんがいない館内に、やっぱりいました、話好きなボランティアの学芸員さん。
こういう方々、金銭的な対価はほとんど得てないのに本当に一生懸命に説明してくれるので(逆に言うと、好きだからやっているんでしょうね)、ついついその説明にお付き合いして、結局、館内の説明をフルコースで聞いてしまったりするのです。やさしいなあ、俺!
うーん、ちょっと座りたいなあ、と思っていても、そんなことをおくびにも出せないので
「石薬師と庄野の宿場間は、なんでこんなに短いんですか?」
みたいな質問をしちゃう僕。学芸員のお母さん、張り切ってそれだけで5分くらい説明してくれます。
30分くらい、庄野宿のお母さん(もしかして名前は「庄野真代」・・・古っ!)に専属ガイドをしてもらって、ありがとうございました、と出発しようとすると
「お昼は食べましたか?」
という質問。いやいやいやいやお母さん、お昼までいただいちゃ申し訳ないっすよ、と言おうとしたら、
「この先、食事するところないわよ」
とのこと。そういえば、そんな感じがしたんです。昼時だったので、石薬師を出た時から、どこかテキトーな食事場所があれば、と探しながら歩いてきたのですが、それらしき感じのところがなかなかなかったのです。
「この先に旧道が国道1号と交差するところにコンビニMがあるから、そこで買って食べなさい。そうしないと、この10キロ近く先の亀山に入るまでないわよ」
はい、ありがとうございますお母さん。今日1番の大事な情報でした。。。
お母さんの言いつけどおり、コンビニでおにぎりとかパンを買って、駐車場の脇で食べていると、リュックをしょったカップルや単独♂が僕と同じように休憩しています。みんな東海道を歩いていて、あのお母さんに教えてもらったのかもしれませんね。
さて、旧東海道はJR関西本線の井田川駅の前を通過しますが、ここに再びヤマトタケルが。
どうやらここから徒歩30分ほどの能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)が宮内庁によりヤマトタケルの墓とされているようです。杖衝坂ですでに相当衰弱していたヤマトタケルは、とうとう力尽きてこのあたりで亡くなってしまったのだと言われています。
井田川を過ぎ、旧道は亀山に向けて再び緩やかな坂を上ります。高台の街道に沿って古い街並みが続く亀山宿では、家々の軒先に昔の屋号が貼りだしてあってなかなかユニーク。
時々、1軒の家に2軒分の屋号が貼ってあるのを見たのですが、昔は家々の間口が相当狭かった、ってことなのでしょうか?
街道沿いにこんな有名ブランドの工場がありました。亀山と言えば、シャープの「世界の亀山モデル」、元タイガースの「亀山つとむ」、そしてこの「カメヤマローソク」ですからね。(※タイガースの亀山は亀山市とは何の関係もないようです・・・)
亀山の宿場町はかなり長く続いていて、いったん市内の大通り商店街に出るのですが、そのあと再び旧宿場町らしい雰囲気が残る旧道に戻ります。
ようやく亀山の宿場町が終わると、鈴鹿川沿いのまっすぐな道に出ます。ここが大岡寺畷(だいこうじなわて)と言われ、約2キロに及ぶ東海道一の長縄手(まっすぐな長い道)であったところ。
もう疲れ果てていたので、まっすぐだろうと曲がっていようと早くホテルに着いてくれーと思っていたら、ようやく今日の宿泊ホテルが見えてきました。