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うちなー滞在記 vol.1「わたしはうちなーんちゅになれるか?~カンヒザクラと中国文化~」

日本で唯一の亜熱帯気候を持ち、その温暖な気候、美しい海、三線の音色、本土にはない独特の雰囲気を求めて、毎年数多くの人が訪れる沖縄県。

そんな沖縄にひょんなことから住むことになった私が、沖縄にまつわる歴史や文化、自然、飲食店などを、ナイチャー(意味はあとでご説明いたします)ならではの目線でご紹介していきたいと思います。

今回は、2月上旬のまさに今が見頃の、沖縄本島北部にある「今帰仁城(なきじんぐすく)跡の桜」と、私が沖縄に移り住んでから出会った、沖縄に今も息づいている「中国文化」について、いくつかご紹介していきます。

グスクで出会った海と桜

正門前の「世界遺産登録」の石碑。

沖縄本島北部、今帰仁村にある今帰仁城跡(なきじんぐすくあと)。

グスクとは、奄美群島(鹿児島県)から八重山諸島(沖縄県)にかけて多数存在する建築物で、「城」という字を当てていますが、軍事的な役割だけでなく「御嶽(うたき)」や「遙拝(ようはい)所」と呼ばれる信仰の場所が必ず備わっているのが特徴です。

琉球王国(1429年~1879年)成立前の沖縄には、中山・南山・北山という三つの小王国(三山)があり、その勢力を争っていました。今帰仁城はその北山の城であり、琉球王国成立後も、北部の監視や統治を目的として「北山監守」という役職が置かれていたそうです。

外壁には珊瑚礁から成る「琉球石灰岩」が使われている。軽く、加工しやすいという利点がある。

石の城壁は本土のように直線的ではなく、このように曲線を描いています。中国、ひいてはヨーロッパのお城の影響を受けているんだそうです。

そんな世界遺産・今帰仁城跡ですが、今回の目的はこの桜。

「カンヒザクラ(寒緋桜)」と言うそうです。

沖縄の桜の特徴は、本土の桜のように薄いピンク色ではなく、このようにショッキングピンクに近い、色の濃い花が咲きます。花びらの落ち方も、ひらひらと舞い落ちる感じではなく、「ぽとっ(ぼとっ)」と萼(がく)ごと落ちるそうで、沖縄の人たちも「風情がない落ち方するんだよ」と笑いながら話します。

今の沖縄には、本土のように桜の下で宴会をする「お花見」文化はほとんどありませんが、琉球王国時代、1665年に最後の「北山監守」が今帰仁城を引き上げてからは、ここは王朝の祭りを執り行う場所として用いられていたそうです。

毎年1月中旬から2月初めにかけてカンヒザクラが咲き誇り、桜の名所として有名。

桜だけでも大満足だったのですが、思いがけず、こんな(写真で伝えきれないのがとても悔しいので、機会があればぜひお立ち寄り下さい)絶景と出会うことが出来ました。

思わず「うわー」と声が出てしまう程でした。

中国・万里の長城を想起させる城壁の形状も見ることが出来ます。

水平線左にかすかに見えるのは「屋那覇島」「伊是名島」などの小島と思われる。

うちなーんちゅとは?

沖縄の人たちは、自分たちの住む場所を「うちなー(おきなわ)」と呼び、沖縄以外の日本のことを「内地(ないち)」「本土」「ヤマト」と呼んだりします。そして自分たちのことを「うちなーんちゅ(沖縄人)」と呼び、内地から来た日本人のことを「ナイチャー(内地+er)」と呼んだりします。

今帰仁城跡の駐車場近く、あたりまえのように立っている「ガジュマル」。

沖縄が大好きな東北出身の私としては、この呼び方に、少し突き放されたような、沖縄に生まれ育っていないと育たないアイデンティティのようなものを感じ、何とも言えない気持ちになります。

そうした「うちなーんちゅ」の意識、沖縄と他の日本とを区別するという意識はどこから来るのだろう。私(沖縄以外の日本人)とは一体なにが違うんだろう。

沖縄に移り住んでまだ間もない私にとって、わりと重要なこの問題を探るべく、今回は沖縄の文化・風習に特に大きな影響を与えた「中国との歴史」の名残りを見ていきたいと思います。

謎の石碑「石敢當」

中国との関わりについてなぜ気になったか。

沖縄に移住して間もないころ、まだ車がなかったので、移動手段は徒歩でした。車社会中の車社会の沖縄、本当に歩いている人がいないんです。

ジョギングしている人や自転車に乗る人はたまに見かけますが、移動手段として歩いている人に、この期間、ひとりも出会わなかった気がします。

そんな中、住宅地でよく目にしたのがこの「石敢當」。

家の外壁の下の方などに張られている表札のような形のものです。

今でこそ「いしがんとう」と読めますが、まず読み方から解らず、「いしがふ?」「いしがふさん?」「いや、いしがふさんだけこんな下の方に表札あるのも変だよな...」

謎は深まるばかりだったので早速調べてみると、なるほど、中国の福建省から伝承され、魔除けの意味があるんだそうです。中国の強い武士、名力士の名前からとったんだそうです(諸説あります)。

沖縄では昔から「マジムン(=魔物)」の存在が強く信じられていました。マジムンは直進しかできないので、丁字路や三叉路にぶつかるとそのまま家の中に入ってきてしまうので、丁字路や三叉路の壁に「石敢當」の文字が入った石碑などを置いたんだそうです。石敢當にぶつかったマジムンは砕け散ると言われています。

ちなみに、屋根や門の上に置かれ、「守り神」としての意味を持つシーサーも、中国から伝わってきたものとされています。

首里城・守礼門(しゅれいもん)

上述の三山を統一した中山王の尚巴志(しょうはし)が王家の居城とした首里城。

驚いたのはこの守礼門をはじめ、首里城の門はすべて西側、つまり中国(当時の明・清)の方角を向いていたそうです。中国との関係が何よりも大事だったことがうかがえます。中国から冊封使(中国皇帝の使者)が琉球に来た際には、国王以下の高官らが守礼門まで出迎えていたとされています。

我部祖河(がぶそか)は地名、元祖ソーキそば

最後に、今帰仁城跡に行く途中にある、地元でも昔から有名なソーキそばのお店をご紹介します。

古風な沖縄の雰囲気が残る場所。コロナ禍においても常連客に愛され続けているお店、という印象。

1966年創業。今では沖縄県内に複数店舗を持ち、全国各地へのお取り寄せもできます。2つの出入口を全開にして、新型コロナ対策もバッチリでした。

ソーキもスープも、濃すぎずしっかりと出汁が効いてて、美味しいに決まっていました。機会があればぜひご賞味ください。

それではまた、次回にお会いしましょう。

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沖縄に移り住んで早一年が経とうとしています。一年前に吹いていた風、冬へ向かう空気の冷たさが思い出されます。

「うちなー(沖縄)でやっていけるだろうか」

「うちなーんちゅ(沖縄の人たち)と私は何が違うのだろう」

当初、そんな不安と好奇心とを抱きながら生活していました。しかし、様々な人と接するうち、不安は徐々に解消されていきました。

「うちなーには様々な国籍を持つ人たち、本土(沖縄以外の日本)の人たちが暮らしている」ことは心強さを与えてくれました。

「うちなーには様々な異文化との交流の歴史があった」ことを知れたのも、大きな理由の一つです。

そして、風習や言葉の違いは “違い” として尊重し、残そうとしているうちなー文化に触れているうち、「違うことは当たり前」「違っていて良い」と思えるようになりました。

さて、今回は時をさかのぼること600年。三山時代に築城されたといわれる沖縄本島中部・読谷村(よみたんそん)の世界遺産「座喜味城跡(ざきみじょうあと)」をご紹介します。

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