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【山形県飯豊町】春限定の神秘的な光景「白川湖の水没林」
山形県南部飯豊町(いいでまち)の白川湖で春の2か月間だけ見ることができる神秘的な風景。豪雪地帯である日本百名山の飯豊連峰から、春になると白川湖に大量の雪解け水が流れ込みます。湖が満水を迎えると、シロヤナギの木々があたかも水の中から生えているかのような、幻想的な光景になります。
沖縄に移り住んで早一年が経とうとしています。一年前に吹いていた風、冬へ向かう空気の冷たさが思い出されます。
「うちなー(沖縄)でやっていけるだろうか」
「うちなーんちゅ(沖縄の人たち)と私は何が違うのだろう」
当初、そんな不安と好奇心とを抱きながら生活していました。しかし、様々な人と接するうち、不安は徐々に解消されていきました。
「うちなーには様々な国籍を持つ人たち、本土(沖縄以外の日本)の人たちが暮らしている」ことは心強さを与えてくれました。
「うちなーには様々な異文化との交流の歴史があった」ことを知れたのも、大きな理由の一つです。
そして、風習や言葉の違いは “違い” として尊重し、残そうとしているうちなー文化に触れているうち、「違うことは当たり前」「違っていて良い」と思えるようになりました。
さて、今回は時をさかのぼること600年。三山時代に築城されたといわれる沖縄本島中部・読谷村(よみたんそん)の世界遺産「座喜味城跡(ざきみじょうあと)」をご紹介します。
座喜味城(ざきみじょう・ざきみぐすく)は琉球王国(1429年~1879年)成立前の1420年頃、護佐丸(ごさまる)という人物により築かれたと伝えられています。
その頃、南山・中山・北山(現在の沖縄本島南部・中部・北部とほぼ重なる範囲)の有力な豪族たちが覇権を争っていました。「三山(さんざん・みやま)時代」と呼ばれる戦乱の世です。
北山の今帰仁グスク城主「攀安知(はんあんち)」は、中山の首里グスクを攻めようとします。
しかし、周辺の按司(あじ…地方豪族の称号)は攀安知を恐れていたため、このことを中山王へ密告します。
中山王は北山攻略の必要性を感じ、今帰仁グスク遠征を命じます。そのとき「読谷山(ゆんたんざ)按司」として護佐丸は遠征に加わります。
「地形をうまく利用した築城」と「剛勇な兵士の存在」により“難攻不落”とされていた今帰仁グスク。
中山の尚巴志(しょうはし…のちに琉球王国を成立させる人物)を中心とした連合軍は正攻法では攻略できず、謀略(ぼうりゃく…だまし討ち)を用いなければ落城できなかった程でした。
護佐丸は、今帰仁グスクのその堅固な築城技術に大いに感嘆したといいます。自らの「座喜味グスク」の築城にその技法を取り入れるほどでした。
私は今帰仁グスクへも行きましたが、グスクが建つ場所の「地形が似ている」と感じました。
今帰仁グスクの裏手には急峻な谷が広がっており、侵入は困難だったと考えられます。
そしてこちらが座喜味グスク裏手からの景色です。
急峻な坂と樹木の生い茂り方がとても似ています。さらに正面の門にたどり着くまでの長い斜面も共通していました。
護佐丸は、戦いの中で感じたものを取り入れていく「柔軟さ」と「貪欲さ」を兼ね備えていたのでしょう。
では、護佐丸が築いた座喜味グスクの特徴をいくつか見ていきましょう。
二の曲輪アーチ門の右側の城壁はこのように大きく張り出しています。
城内に向かってくる侵入者に対して“横矢(よこや)”を放つための形状なのだそうです。
ここは二の曲輪アーチ門を通って左へ進んだ場所です。ここを進むと突如急な斜面となり、さらには行き止まりとなってしまいます。
侵入者をここへ誘導する戦術をとっていたことが容易に想像できます。
これがその斜面です。
さらに城壁をやや斜めに造ることにより、城壁の上より攻撃を加えやすくしています。
ここは一の曲輪アーチ門の内側。比較的大きな石が横目でそろっている「布積み(ぬのづみ)」といわれる積み方です。
座喜味グスクはここも含め一部を除いて「野面積み(のづらづみ)」といわれる自然石をそのまま積み上げる技法がとられています。
これは、戦乱の世で築城を急がなくてはならなかった為だと推察されています。
このように、城壁へと上ることが出来るほど城壁に厚みがあるのも特徴のひとつです。
現在、城壁へ上がることが出来るのはここ「座喜味グスク」と「中グスク」のみです。いずれも護佐丸が築城したグスクです。
見晴らしがとてもよく、周囲の状況を知るためにとてもいい場所です。
非常事態には、狼煙(のろし)を上げ、中山王のいる首里グスクまで知らせることができたといわれています。
発掘調査による出土品、琉球王朝時代の書物、様々な分野の歴史調査をベースとして、様々なことが推察できることに好奇心をくすぐられました。
護佐丸がこの後に築いた「中グスク」へも、是非行ってみたいと思いました。
最後に、沖縄の方言「うちなーぐち」をご紹介します。今回は「方角」です。
【東と西】
一般的に「ひがし」と「にし」と読みますが、うちなーぐちでは東を「あがり」、西を「いり」と言います。太陽が「あがる」方角が東、「入る」方角が西ということに由来していると考えられています。
沖縄本島北部・名護市の“東江”という地名は「あがりえ」と読みますし、名字でも「東江さん」は「あがりえさん」です。
沖縄本島中部・うるま市の“西原”と書いて「いりばる」と読む地名がある一方、“西原町”と書いて「にしはらちょう」と読む地名もあります。
「にしはらちょう」にはもう少し秘密がありますが、続きをお読みになってみてください。
【南と北】
東と西に関しては言葉の由来で理解できますが、南と北に関してはそうはいかないようです。
南は「ふぇー」と読みます。語源に関しては不明です。「南風」は「ふぇーかじ」、那覇市の南に位置する「南風原」は「はえばる(ふぇーばる)」と読みます。
さて、一番注意しなくてはならないのが“北”です。北は「にし」と読みます。語源に関しては「去にし(いにし)」という説がありますが、定かではありません。「北風」は「にしかじ」と読みます。
上述の「にしはらちょう(西原町)」は、西に位置するという意味ではなく、実は琉球王府のあった首里の「北(にし)」に位置したのでそのような地名になりました。本来であれば「北原町」と書いて「にしばるちょう」とするのが正確だったようです。
道を尋ねたとき「北」と「西」では大違いなので、一度確認してみると良いかもしれません。
それではまた、次回にお会いしましょう。
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ホテルメトロポリタンでは、2024年1月15日(月)からオールデイダイニング「クロスダイン」、日本料理「花むさし」、四季彩茶寮「旬香」の3店舗で「長崎フェア」を開催します。
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ラーメン居酒屋店「Ramen Izakaya Deniro」では、2023年12月7日(木)よりストリートスタイルラーメン店「駄目な隣人」とのコラボ商品を販売しています。
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「星野リゾート 青森屋」は、地元の鉄道会社「青い森鉄道株式会社」の協力のもと、2024年1月20日から2月11日の期間の土日限定で、青森の雪景色を眺めながら食事と地酒が楽しめる観光列車を運行します。
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東京・大手町の日本旅館「星のや東京」では、2024年1月5日~26日に、1泊2日の滞在プログラム「新春歌舞伎滞在」を今年も開催します。
江戸に暮らす人々にとって新年の楽しみの一つに歌舞伎観賞があり、粋な過ごし方でもありました。その楽しみ方を支えたのが芝居茶屋です。観劇チケットの手配に加え、筋書やお茶、菓子、幕の内弁当、酒肴の提供など、至れり尽くせりのサービスで人々を喜ばせていました(*1)。星のや東京では、当時の芝居茶屋のようなおもてなしで、新年を寿ぐ滞在を提供します。
*1:富澤慶秀・藤田洋監(2012). 『最新歌舞伎大辞典』. 柏書房.
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2023年11月22日(水)〜12月3日(日)の期間、新宿御苑にて紅葉のライトアップイベントが開催されます。今春の桜イベントに続き、今秋は紅葉イベントで再び新宿御苑とネイキッドのコラボレーションが決定しました。東京を代表する庭園「新宿御苑」は、数少ない都心の紅葉スポット。全長約200mのプラタナス並木と都心随一のモミジスポット・モミジ山、池への反射が絶景の「中の池」など、新宿御苑の紅葉とネイキッドのアート&食が融合した世界を見ることができます。