多摩川を渡り、神奈川県に突入!
鈴ヶ森刑場跡を過ぎ、いったん第1京浜に吸収された旧東海道は大森本町のあたりで、またちょっとだけ旧街道が復活します。
このあたりは海苔の産地だったようで、海苔屋さんが何軒も目に付きました。
日本橋を12時に出て約3時間45分、京急の大森町付近でちょっと休憩します。ここまで約16km。
このあたりから再び第1京浜に合流してしまい、多摩川を渡るまでは、あまり面白い道のりではありません。
そして、いよいよ多摩川にかかる六郷橋に到着。多摩川を歩いて渡るのなんて初めてですが、意外に水量豊かなんですね。
昔はこの多摩川を渡る橋がなく、旅人も荷物もみんな渡し船を使って越えていた、と想像すると、なかなか大変だったんだろうな、と思ってしまいます。
六郷橋を越えると、そこはもういきなり川崎の町なのでした。
歌川国貞作 川崎之図 東海道五十三次之内 (美人東海道) │ 広重が描いた川崎宿を背景に、国貞の代名詞である美人画を配した言わば"コラボ作品"。なぜ今回、美人東海道なのか?本文には(多分)関係ありません笑
人生初の堀之内体験!
いざ、神奈川県に入り、マンションやら雑居ビルやらが並ぶ旧東海道を歩くのですが、ちょうどこのあたりの一本南側の通りに、気になる地名があります。
「川崎市川崎区堀之内町」。
堀之内といえば、「オレたちひょうきん族」の「タケちゃんマン」で唄われた、あの有名な歌
♪今日は吉原、堀之内〜中州ススキノニューヨーク♪
で有名な、あの堀之内です。思わず通りを一本それて、写真を撮ってしまいました。
写真だけですよ!
江戸時代からこの近辺は川崎の宿場町として賑わい、飯盛女を置いていた旅館が多かったことから、戦後も青線地帯として残り現在に至るのですが、かつては「川崎城」とか「川崎流」とか「テクニックの堀之内」とか、東海道を学ぶ上では欠かせない歴史があったようです。詳しくは各自図書館でお調べください。図書館にはそういう類の歴史本はないかもしれないけど。
ということで、「タケちゃんマン」のあのメロディーが頭の中を繰り返し駆け巡りつつも、堀之内の誘惑に負けず、無事に川崎駅前に到着しました。
この日のふらっと完歩はここまでで終わりなのですが、川崎駅近くに気になる地名を発見してしまいました。
女躰神社
しかし堀之内とは一切関係ありません。
かつてこの地は多摩川の水害に見舞われることが多かったのですが、氾濫を鎮めるために身を投じた女性を祀り、村の鎮守社としたことが由来とされています。
家に帰ろうとラゾーナ側から駅へと向かおうとしたら、会社の後輩夫妻にバッタリ会ってしまいました。
このあたりにお住まいでしたっけ?と聞かれたので、正直に
「いや、ちょっと散歩中」
と答えましたが、かなり不思議そうな顔をしていました。もし堀之内で会っていたら、散歩中、と言っても絶対に信じてもらえなかったんだろうな、と思います。
今回の結果:日本橋~川崎宿 17.7㎞を制覇!