逢坂の関のかわいそうな蝉丸
長いようであっという間だった東海道ふらっと完歩も、今日でゴールの予定です。
完歩の瞬間には、三条大橋前にゴールテープでも張ってもらって、箱根駅伝の青学並みのガッツポーズでもキメようかな、と思っていたのですが、ファンクラブ会員を手当たり次第に呼んでしまうと、ゴール直後から祝勝会のお誘い合戦で河合奈保子の「けんかをやめて」状態になってしまいそうなので、今回は人知れずひっそりとゴールすることにしました。
前日、京都に泊まっていたため、朝、いったんJRの大津駅まで戻って、浜大津の駅前から旧東海道完歩を再開します。
JR大津から京阪の浜大津方面に向かうなだらかな下り坂の先に、琵琶湖が見えます。ここだけ見たら横浜とか、長崎みたいですね。
前回大津まで歩いてきた時は真夏で、真っ青な琵琶湖にヨットが何艇も浮かんでいて、湖国滋賀とはこんなに美しいのか、と感動したことが思いだされます。
大津の町なかを抜けた旧東海道が、京都方面に向けて曲がり、目の前に逢坂の関(おうさかのせき)を迎える眺め。
この絵を見るのは前回大津に来た時に続いて2回目ですが、やはりいい。自然と気合も入る感じ。
この京阪の路面線路もいい味出してますね。
と思っていたら京阪電車がやって来ました。ちょうど京町あたりで右にカーブし、路面線路と別れて軌道線路に変わるあたりに上栄町の駅があるんですね。
旧東海道はここでしばらく京阪と別れ、そのまままっすぐ進むと、やがてだんだんと勾配がキツくなり、逢坂の関越えとなります。
「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」
訳:昔はここに京への関所があったから、知ってる人も知らない人も、たくさんの人々がここを行ったり来たりしてたんだなあ。そこにはきっといくつもの出逢いや別れがあったんだろうなあ。逢坂の関なんていうくらいだから、ムフフな人の出逢いもたくさんあったのかなあ。だったら僕も逢瀬の場所としてここで誰かを待ってみようかなあ。
この歌の読み手、蝉丸さん。この蝉丸神社は、琵琶の名人であり、この逢坂の関に庵をむすんでいた蝉丸を祀った神社。
神社に祀られるほどすごい人なのに、「蝉丸」と聞くとなんだかイロモノの香りが漂ってしまうのは、やはりあの百人一首の坊主めくりの影響なのでしょうか?
僕の記憶だと、蝉丸=エロティックという記号で結びついてるんですけど、なんでだろ?若い時の何かの妄想?(笑)
ちなみに峠の頂上付近にこんなお店がありました。
この日本一のうなぎってのも相当なイロモノっぽいなーと思っていたら、大正時代に詩人の野口雨情がこの店に来て、箸紙に「ここのうなぎが日本一」的な歌を詠んだのだそうです。
雨情くんもいろんなところで結構やらかしてんなぁー
そしてここではうなくんの飛び出し坊やがお出迎えですね。
いよいよ京都へ
さて、この逢坂の関を越えると下りとなりますが、まだそこは京都ではなく、滋賀県内。
ずいぶん下って、国道一号から旧道に入ったあたりから、京都市と大津市の市境(というか京都府と滋賀県の県境)を行ったり来たりします。
このあたりは、旧東海道が県境となっていて、通りの片方は京都市、片方は大津市という町並み?
だとするとお向さんは他県というとても珍しいパターン。
さらに進んで四宮の町並みが現れると完全に京都に入り、やがて山科へ。
京阪山科駅は天井の立派なドームが特徴的。
山科って新幹線でもJR在来線でも京都の手前のトンネルとトンネルの間にあるので、相当な山の中かと思ったんですが、駅前はかなり栄えていて思ったよりずっと都会でした。
旧東海道沿いの山科の商店街でみた洋菓子店。このゴテゴテさからなのでしょうか、妙に気になって、しかもなんだか名店の香りがしたので戻ってから調べてみると、ローヌ本店というスイス菓子のお店で、チーズケーキがすごく有名なお店のようです。
山科の商店街を抜けると御陵という地名の土地へ。
御陵というのはもちろん天皇陵のこと。宮内庁が直接管理し、敷地もとてつもなく広いのです。
ここに眠っているのは天智天皇。正式名は山科陵(やましなのみささぎ)というそうです。
天皇陵には、独特の静けさがありますね。少し寄り道になりますが、旧東海道を歩くなら、ここは外せないですね。