遥かなるローマ帝国のコイン
勝連城跡は、沖縄本島中部・うるま市に位置し、2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界文化遺産に登録されています。
最後の城主「阿麻和利(あまわり)」は、世界各国との貿易によりこの地に繁栄をもたらしたとされています。なんと、当時(14世紀~15世紀)の地層からローマ帝国の貨幣(コイン)が見つかったというのです。他にも、17世紀の地層からオスマン帝国のコインも見つかっています。
阿麻和利は、前の城主が圧政を敷き酒におぼれていたのを見かね、クーデターを起こし城主となりました。
貿易による栄華ゆえか、野心も兼ね備えていました。琉球王府(首里城)の攻略を考えていたというのです。1458年、王府軍に滅ぼされたとされていますが、城に大きな戦いの痕がないということで、謎に包まれている部分が多いそうです。
勝連城は「難攻不落」の城と言われていました。一番上から、一の曲輪(いちのくるわ)、二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪と、石垣で囲われた構造となっており、それぞれが階段で連なっています。自然の断崖を利用して築城されているのが、この模型を見るとよくわかります。
城の付近は「底なしの沼」といわれるほど水量豊富な湿地帯で、普段は財政を支える農地でしたが、有事の際は、侵入者を足止めする役割を果たしていたそうです。
難攻不落の勝連城・石階段の秘密
上の曲輪(くるわ)への階段には、いくつか工夫が凝らされています。
城を正面に、右側からぐるっと回りこむように階段を造ることで、侵入者の右手が石垣側にくるようにしてあります。つまり、武器を持っている右手の動きを制限しようとしました。
傾斜を急にして、侵入者の体力の消耗を図ります。上の曲輪から侵入者の数を把握したり、攻撃を加えやすい角度になっています。
階段への工夫はまだありますが、続きは一の曲輪への階段でご説明します。
上へ登るにつれ、海の色に変化があるのも面白い見所です。
見る角度によって、太陽の光の反射の仕方が変わるからでしょうか。
二の曲輪に正面17m、奥行き14.5mの正殿跡が発見されています。
首里城正殿のように柱の多い構造で、礎石(そせき…建物の柱を支える石のこと)のあるしっかりとした造りだったそうです。勝連城の中で、最も重要な場所であったと考えられています。
二の曲輪から一の曲輪への石階段沿いに作られています。
これは「ウシヌジガマ」といいます。ウシヌジは「身を隠し、凌ぐ(しのぐ)」という意味で、ガマは「自然洞穴」のことです。
この洞穴は、一の曲輪脇の洞穴と繋がっており、1458年にあったとされる王府軍の戦いで、阿麻和利がこの抜け道を使って、現在の読谷村(よみたんそん)まで逃げ延びたという伝説も残っています。
さて、いよいよ一の曲輪への階段です。城にとっては「最終防御ライン」です。
後編へ続く。
沖縄そばだけど「うどぅん」
最後に、沖縄本島北部・名護(なご)市にある飲食店をご紹介します。
「御殿(うどぅん)」というお店です。
「御殿(うどぅん)」は、琉球王族の邸宅を指す言葉だそうです。
「ゴーヤチャンプルー定食」「ソーキそば」、迷いましたが私が注文したのはこちら。
「イナムドゥチ定食」です。いなむどぅち?
名前の意味はわかりませんでしたが、帰ってから調べました。イナは「イノシシ」、ムドゥチは「もどき」。宮廷ではイノシシ肉を使っていたそうですが、それを豚肉を使った家庭料理にしたものなのだそうです。
具材の出汁と白みそが良く合い、本当に美味しかったです。機会がありましたらぜひご賞味ください。
それではまた、次回にお会いしましょう。