田子の浦に打ち出でてみる
3日目の朝。
本当はこの3日間で富士川を渡って、蒲原まで行きたかったんですが、今日のスタートの沼津からだと寄り道なしでも30キロ以上あるので、ちょっと厳しそうです。
吉原宿を越えて、JR富士駅までを目標に頑張ってみます。
三島駅舎は、富士山と三嶋大社をイメージした、三角の立派な屋根が特徴です。
観光客やら高校生やらで賑わっていました。
ここから、昨日のうちにゴールしていた沼津駅まで、JRで1駅分だけ移動します。
一方の沼津駅は、閑散としていました。
三島の人口約11万人、沼津の人口約20万人。
人口も、町の規模も沼津の方が大きいのですが、なんとなく三島の方が町全体が賑わっている感じがします。
新幹線の駅があるかないかの違いなんでしょうか。
沼津の中心を流れる狩野川から市街の眺め。
このビル群の向こう側に、富士山があります。
日曜の午前8時の、ひっそりとした市街地を抜けると、旧東海道は駿河湾の海岸線に並行して、少し内陸側を西のほうに進むのですが、しばらくの間、ちょっと浮気をして旧東海道から離れて歩いてしまいました。
旧東海道から1本海岸寄りの道路(県道380号)は、千本街道と呼ばれ、左側にはずっと千本松原が広がっています。
この千本松原の中に入ると、立派な松林の中、こんな道が、海岸線に並行して続いています。
こっちの方が、いかにも旧東海道っぽくていい感じです。
さらにさらに、海岸線に出てみると、堤防の上にずっと道が続いています。
駿河湾の眺めはもちろんのこと、なんと右側には今日もゴキゲンな富士山が。
旧東海道には申し訳ありませんが、やはりこっちを歩くべきでしょう。
ここで一句。
田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ
富士の高嶺に 雪は降りける
もちろん僕の歌ではありません。百人一首にあるので、みなさんご存知だと思いますが、万葉集の山部赤人の作品です。
百人一首の歌とは微妙に違いますが、あれはあとから改変されたニセモノで、こっちが本物です。思うに、これはたぶん今日のような日に詠まれた歌なんじゃないかと思います。
駿河湾沿いの田子の浦あたり。晩秋の、穏やかに晴れた朝。ふと富士山を眺めてみると、こっちはこんなに晴れていて暖かいのに、富士山の山頂にはあんなに真白な雪が積もっているよ。
きっと1300年以上の昔にも、今日みたいな日があったからこの歌が生まれたんじゃないか、と思うくらい、穏やかな海の青と富士の白、そして松原の緑の対比が見事でした。
名勝 吉原の左富士
しばらくの間、堤防の上を歩いたり、松林の中を歩いたりしながら西へと進み、JR原駅の手前あたりから旧東海道に戻ります。並走するJRの東海道線の電車がときどきのんびりと通り過ぎてゆきます。
東田子の浦の駅を過ぎ、県道から離れると、街道沿いに煙突が。このあたりから、富士の製紙工場が現れ始めます。
工場は、やっぱりシュールですね。
あまりにカッコいいので電車も入れてみました。
ここは日本製紙の富士工場。昔の大昭和製紙ですね。
古い地図やバス停の名前などには、今でも大昭和の名前が残っています。
旧大昭和前を過ぎると、まもなくJRの吉原駅。
旧東海道の吉原宿はここから2,3キロほど内陸に入ったところにあります。
ここから吉原宿跡のある吉原本町までの間にある名勝が吉原の左富士。
茅ヶ崎にあった「南湖の左富士」とともに、東海道を西に向かって歩く際、富士山が左に見える珍しい場所だったのです。安藤広重の描いた吉原の左富士がこれ。