岡崎城の『グレート家康公「葵」武将隊』
岡崎に2泊して、三河地域の旧東海道を、あらかた歩いてしまおう、と考えた2016年の冬休み。岡崎の中心、東岡崎の駅についてまずはホテルに荷物を預けよう、と駅前の地下道を渡ると、なんだかJAZZYな感じの音楽が。なんと岡崎はJAZZの街なんだそうです。
で、調べてみると、岡崎が舞台となった2006年のNHK連続テレビ小説「純情きらり」で、ジャズピアニストを夢見る桜子がヒロインとして描かれたことから、有志を中心に、市民が主体となって岡崎をJAZZの街として盛り上げていって、今は岡崎ジャズストリートという大きなイベントも行われているそうです。なるほどー。
岡崎の中心を流れる乙川の橋の上から、ビルの向こうに岡崎のシンボル、岡崎城が見えます。
岡崎宿の旧東海道は、城下町特有の複雑に入り組んで敷かれた道を通るため、「岡崎城下二十七曲り」と呼ばれて非常にわかりにくい、と言われています。
ですが、実際は曲がり角ごとに看板が立っているので、左へ右へと慌ただしい感じはしますが、迷うほどではありません。
まずは岡崎に来たら岡崎城に寄らないと、と思っていたら、その手前にこんな建物がありました。
「三河武士のやかた 家康館」。僕は関ケ原では西軍派なので、家康公はあまり好きではなかったのですが、まあ岡崎に来たからには仕方ないですね。
おっ、写真撮ってたら出入り口からふつーに武将が出てきたぞ。。。
そうです。ここにも最近はやりの「おもてなし武将隊」的なおにーさんとおねーさんがいるのです。名付けて『グレート家康公「葵」武将隊』。
え、自分でグレートとか言っちゃっていいのか、家康公?グレートかどうかは周りが決めるのであって、自分で言っちゃうと価値が下がっちゃうんじゃないか?
でもまあ、グレートな割にはとても敷居が低い武将たちで、こんにちはーとか、あけましておめでとうございますーとか爽やかに挨拶しながらお客さんとすれ違ったりしてます。武士語じゃなくていーのか、グレート?
まあ、彼らのメインステージは土休日に行われる「グレート演武」と呼ばれるショーなので、そこでは武士語で口上が行われるのでしょう。それよりも僕が気になったのは、そのショーの中に「堪忍タイム」というなんでも相談の時間があり、なんと家康公自らが庶民の悩みに応えて堪忍の心を説いてくれる、という部分。
「当方、東京の40代の既婚者です。僕にもう一度モテ期が来るにはどうしたらいいと思いますか?」という積年の課題をぜひ聞いてみたかったのですが、今回はショーの時間に合わず残念ながら叶いませんでした。
写真を撮っている観光客がいると自ら声をかけて一緒に記念撮影をしてくれる、というなかなかおもてなしの心あふれる武将たちなのですが、記念撮影の時の掛け声が、
「GREAT YEAH康!」(YEAHの時に一斉に親指を突き出す・・・写真見本)
というのもまた素敵です。なんだか家康のことがちょっとだけ好きになってきちゃいました。。。
岡崎城から八丁味噌通りへ
さて、名残惜しくもすぐ先の岡崎城に向かいます。するとなんだかすごい人の列ができてますね。
ここは岡崎城と同じ敷地にある、龍城神社(たつきじんじゃ)で、家康公を祭神としている由緒正しい神社なのだそうです。岡崎市民としては、そりゃー並んででもお参りしたくなりますわな。
この岡崎城、かつては家康の祖先である松平氏の居城であり、家康が生まれたのもこの岡崎城だったそうで、館内は松平氏の歴史や関ヶ原の戦いなどの映像やジオラマが展示されていました。
歌川広重 東海道五十三次 岡崎 矢矧之橋 │ 徳川期最長の橋と言われる矢作橋をゆく大名行列。その先には岡崎城の姿が。家康生誕の地である岡崎城は、代々譜代大名が城主をつとめました。
岡崎城を出て旧東海道をテクテク歩いていると「八丁蔵通り」の看板があり、旧東海道沿いに岡崎の名産、八丁味噌の蔵元が並ぶ通りがありました。
このあたりの町並みが岡崎城下二十七曲りでは一番風情がありますね。
岡崎を描いたNHKの朝ドラ「純情きらり」でも、ヒロインの祖父が八丁味噌蔵元の職人頭だったり、結婚相手が八丁味噌蔵元の出身だったりして、このあたりもロケ地として数多く登場したようです。スミマセン、このドラマ見てませんので伝聞ですが。
さて旧東海道は、岡崎城下を過ぎてしまうと比較的単調な道のりとなり、途中の見どころは松並木くらい。
特に池鯉鮒(知立)の宿場に入る手前の「知立の松並木」は約500mにわたって街道の両側に立派な松並木が続いていて、なかなかのものでした。
松並木が終わり、国道1号線を渡ると池鯉鮒(ちりゅう)の街なかに入り、1年前にすでに先に歩いていた地点まで到着したため、この日の行程はここで終了としました。