東海道有数の絶景「 薩埵峠 」
薩埵峠(さったとうげ)は、由比と興津宿の間にある難所。山が海へと突き出た地形のため、昔は海沿いを通ることが難しく、急な峠道を登って人々が通り抜けていた場所ですが、ここから眺める駿河湾越しの富士山は絶景と言われ、安藤広重の東海道五十三次にも描かれています。
歌川広重 東海道五十三次 由井 薩埵嶺│五十三次の中で屈指の難所とされた薩埵嶺。その峠から、駿河湾越しに姿を見せる富士の絶景を描いた。
由比の宿場を抜け峠道にかかると眼下に東海道本線と国道1号、そして東名高速が海岸に沿って並走しています。
海のすぐ近くまで険しい山塊が迫っているので、峠を越えるか、新幹線のように長いトンネルで抜けてしまわない限りはこの狭いところを通るしかないので自然にこういう配列になってしまうのでしょう。
峠の頂上に出ると、駿河湾の向こうに富士山が見える展望台がありました。
薩埵峠といえば、下の看板の写真のように駿河湾の向こうに富士、眼下に東海道本線、国道1号、東名高速、という3兄弟の図柄が定番なんですが、この展望台からの眺めはちょっと変です。
眼下の3兄弟も見えるには見えるのですが、相当下をのぞき込まないとよくわかりません。
おかしいなあ、ここじゃないのかなあ、と不思議には思ったのですが、展望台、とあるのでやっぱりここなのか?と悪戦苦闘して写真を撮って、仕方なく次の宿場町興津に向けて峠を下る道を進みます。
するとすぐ先に人だかりが。
おー、ここなのかホントの撮影スポット。
Ⓒ静岡県観光協会
展望台までは旧道とは別の道を使って車で来られるのですが、ここには歩いてしか来られません。
なので何も知らずに車で来た人は、ここに気づかずに展望台だけを見て帰ってしまうかもしれません、もったいない。
いざ、ホントの撮影スポットから見た薩埵峠が、これ(この写真、借りてます)。
Ⓒ静岡県観光協会
僕は何枚か写真を撮るとすっかり満足して、峠を下ったのですが、撮影スポットにいた人々は、写真も撮らずに何かを待っている様子。
まだ明るいとはいえ、16時近くになるので、きっと夕暮れの富士山狙いなんでしょうね。
薩埵峠は、ちょうど西からの夕日が富士山に映える角度でもあります。
紅富士、というんでしょうか、山頂の雪が夕日で燃えるように染まったら、たしかにきれいだろうと思います。
今日は夕方になっても雲を被ることもなく富士山バリバリ見えてますので、みんなそれを狙っているのでしょう。
ちなみにこれが紅富士です。
Ⓒ静岡県観光協会
僕はこのあともうちょっと歩きたいので、峠を下ります。
しばらくは富士山と駿河湾を見ながら山肌に沿って歩き、やがて急な坂道(階段)となって、海側ではなく、山側に大きく迂回しながら下り、小さな集落を過ぎると興津の海岸沿いに出ます。
清水でまぐろづくし
この日は興津にホテルを取っていたのですが、明日からの予定を考えると今日は頑張って江尻宿(清水)まで行きたいのでいったん部屋に荷物を置いて、再び歩き始めます。
ホテルから興津宿を越えて江尻までは約6キロですが、昼に続き夕食にぜひ、ということで地元の知人から清水駅近くのおいしい店情報も仕入れたので、行くしかないでしょう。
さて、興津駅前を過ぎてしばらく行くと、興津宿の最大の見どころ、清見寺が現れます。
ここは徳川家康が、幼少時今川氏の人質として駿府に住んでいた頃、清見寺住職の太原和尚より教育を受けていた、という東海道でも有数の由緒あるお寺です。
すっかり夜になってしまったので中には入れなかったのですが、この踏切を越えた先に6000坪の広大な敷地が広がっているとのことです。
清見寺の向かい側にあるのが興津坐漁荘。
ここは明治から昭和にかけての政治家、西園寺公望が引退後に建てた別荘跡。最後の元老である西園寺を頼って当時の日本政界の中枢人物による興津の坐漁荘詣でが頻繁に行われたと言われています。
興津の宿場町を過ぎると、やがて清水の街の明かりが前方に見えてきて、やがて賑やかな清水駅前に到着します。
今日は、ここまで。
この後、駅の反対側にある清水魚市場、河岸の市にある「まぐろ館」という、名前の通りまぐろが食べられるお店が集まった建物に行ってみます。
この中のあるお店をおススメとして紹介されていたのですが、残念ながらこの日は夜貸切ということで入れず。
えー、相性悪すぎだぞ、静岡!
昼に続き夜も目当てのお店には入れませんでしたが、代わりのお店でちょっとした定食を頼んだら、これがまぐろずくしでなかなかボリュームがありました。