午前:瀬田から大津へ
連日の猛暑が続く7月下旬、たまたま四国に用事があった帰りに旧東海道の草津から大津までの区間を歩いてみることにしました。距離的には15キロくらいなので、真夏の1日の距離としてはこのくらいがいいところでしょう。
ただし長い時間外を歩き続けるのは生命に危機を及ぼさないとも限らないなあ、ということで、ちょこちょこと小分けにして歩いてみることにしました。
たまたまこの時期は夏の高校野球の地方予選真っ盛りだったので、途中大津で高校野球でも見ながら休憩するのもいいかな(球場も酷暑だけど)ということでこの日の行程は少し特殊で、まずは前半戦、ちょうど草津と大津の真ん中あたりにある瀬田から大津方面へ西に向かって歩き、後半戦はいったん瀬田まで戻って、そこから東の草津に向かうことにします。
早めに出てきたつもりなんだけど、もうすでに時刻は午前9時30分。真夏の太陽、ガンガンキテます。
普段はめったにかぶらない帽子なんかかぶって瀬田駅前から大通を旧東海道に入ります。
向こう側に見えるのは比叡山なのでしょうか。ふもとには大津の街と琵琶湖が広がっているようにも見えますね。
このあたりの旧東海道は、こんなふうにゆるやかなアップダウンを繰り返しながら進みます。湖は見えなくとも、なんとなく湖国という雰囲気があるのが不思議です。
細い旧道をしばらく進み、琵琶湖方面に曲がる交差点付近にあるのが建部大社。
ここは日本武尊にゆかりのある、近江国の一之宮だそうで、日本屈指の古社とのこと。知りませんでしたが。
やがて旧東海道は、瀬田唐橋を渡ります。
ここは宇治橋、山崎橋とならんで日本三古橋の一つで、日本の道100選なんだそうです。
昔は東海道で京都へ行くには琵琶湖を船で渡るか、この橋を渡るかしかなかったので、交通・軍事の要衝として数々の歴史的な事件の舞台となってきました。
今は美しい黄色の欄干の向こうに琵琶湖の青が広がる、風光明媚な橋ですね。
瀬田の唐橋を渡り終わるとやがて石山の町並みが現れて、JRと京阪の石山駅前に着きます。本当は大津まで歩いてしまいたかったんですが、意外に時間がかかり、お目当ての試合に間に合わなくなってしまいそうだったので、いったんここから京阪電車に乗って浜大津方面へ向かいます。
駅前には琵琶湖を旅する芭蕉像がありました。
芭蕉は琵琶湖をこよなく愛し、大津湖南地方を8回も訪れ、全作品中の1割はこの地域で詠まれた歌だと言われています。
瀬田の唐橋も芭蕉と琵琶湖も、全然知りませんでした。勉強になります。
京阪電車の石山京阪本線。
緑色の小さな電車が、比叡山系の緑の山々に吸い込まれそうですね。
皇子山で下車して、滋賀県野球のメインスタジアム、皇子山球場に向かいます。今回観戦したのは、2回戦、彦根東高校VS水口高校という滋賀県の公立高校対戦。
この彦根東高校(以下、ひこにゃん東)、滋賀県屈指の伝統校なのですが、春の県大会を勝ち抜き、近畿大会であの大阪桐蔭高校に勝ったということで、滋賀県の優勝候補の一角。最近も甲子園に出ています。
こういう高校、好きなんですよ。
しかししかししかし、結果はなんと2-3でひこにゃん東、惜敗。これも高校野球ですね。確かに力の差はほとんどなかったように見えますが、残念。
でもいい試合でした。
午後:大津~石山、瀬田~草津!
京阪電車、浜大津駅前の展望コーナーからの琵琶湖の眺め。
こんなよく晴れた日中に、まともに琵琶湖を見たことがなかったのですが、素晴らしい眺めです。
大津港マリーナにクルーザーがたくさん停泊していますね。向こう岸のマンションも、眺望は素晴らしいんでしょうね。
なんだかペルシャ湾みたいですね。遠くのビル群が、ドバイみたいに見えてきました(ペルシャ湾にもドバイにも行ったことないけど)
いやー大津、素晴らしいじゃないですか!
大津には来たことあったけど、こんなにいい場所だったかなあ。冬の寒い時期に比叡山に行ったのと、あとはパチンコだけして帰ったことくらいしかなかったからかなぁ。
ということで後半戦はこの浜大津から石山までと瀬田から草津までを歩く予定です(石山~瀬田間はさっき歩いたので電車移動)。
浜大津駅前の交差点。
京阪電車が悠々と曲がっていきます。旧東海道からちょっと外れたところにありますが、滋賀県庁。
14年5月に竣工の堂々とした建物です。どこかで見たことあるような、と思っていたらこれは早大大隈講堂や旧群馬県庁を建築した佐藤功一氏の設計なのだそうです。大隈講堂にはあまり共通部分感じませんが、旧群馬県庁とは確かに共通する部分がありますね。
大津で特徴的なのは、ときどき街なかに現れ、琵琶湖に向かって勢いよく流れる、この豊かな水。
午後の灼熱の時間帯ですが、この川のほとりは、涼しそうですね。
歌川広重 東海道五十三次 大津 走井茶店 │ 大津は東海道最大の宿場町として栄えました。湧水の良質な事で有名で、その水を使って作られた「走井餅」を出す茶屋街は大変賑わったそうです。
木曾義仲の死後、愛妾であった巴御前が日々この墓前にて供養したのが、義仲寺という名前の由来だと言われています。また、湖国を愛した松尾芭蕉の墓がここ木曾義仲の墓に隣り合ってあるのだそうです。
木曽殿と 背中合わせの 寒さかな
芭蕉の弟子、島崎又玄(ゆうげん)の句。
浜大津を出て1時間半、石山駅に着いたので、瀬田まで電車に乗って移動し、再び瀬田の駅前から、今度は東に向かって草津方面へ歩きます。
しかしやっぱり真夏の東海道歩きはヘヴィーですよ!
暑さで頭がもうろうとして道中で池の幻が見えたのか、と思ったら本当の池でした。
これは弁天池という古くからの農業用のため池のようです。
江戸時代、ここに住んでいた美しい農家の娘が、江戸と膳所藩を結ぶ飛脚の若い青年との悲しい別れの末、この弁天池に身投げをするという『弁天池とおつゆの悲恋』という伝説があるそうです。