涙こぼるる苦しい坂
江戸時代の石畳を再現した厳しい坂道が続き、さすがにちょっときついなあ、と思った頃、かつての間宿(宿場と宿場の間にある簡易な宿場町のようなところ)である畑宿に着きました。
ここは今でも小さな集落があり、また、寄木細工発祥の地として、工房やお土産店も並んでいます。
標高は約400m、下界と箱根のちょうど半分です(これだけ登ってまだ半分か、というのが正直な実感でしたが・・・)
本当はここで蕎麦でも食べて休憩すればよかったのですが、なぜか足が止まらず、そのまま先に進んでしまったのでした。
歌川広重 東海道五十三次 箱根 湖水図 │ 箱根峠はその昔から急勾配の難所として有名でした。広重の非凡な色彩感覚が際立つ、傑作中の傑作です。
畑宿から先、旧東海道の車道は七曲りの坂というヘアピンカーブの連続で山を上っていきますが、石畳の道の方は、ほぼまっすぐに山を上ります。
しからばすなわち、ものっすごい急勾配だ、ということなんですよ。
箱根駅伝のコースだって旧東海道のようにまっすぐではなく、勾配を緩くするために相当迂回したコースですが、それでもあの坂ですからね。
これは車道の方の、七曲りの坂。
気持ち傾斜の緩やかな、しかし右へ左へ大きくカーブを描きながら長い距離をひたすら歩く七曲りの坂か、とにかく急な勾配で愚直にまっすぐに上り詰める歩道か。
みなさんにどちらをお勧めするか考えてみました。
・・・きっとどっちも同じくらいつらいです。その日の気分で選んでください。
このあたりまで来ると、紅葉もかなりいい感じになっています。
しかし僕の目の前に現れたのは箱根東坂の最難所(だと個人的に思った)「橿木坂(かしのきざか)」。
なんてったって
橿の木の さかをこゆれば くるしくて どんぐりほどの 涙こぼるる
泣いちゃうくらい苦しい坂って、どんな坂なのか!
あまりに急すぎて、今は階段になっていました。
でも、これが階段ではない、普通の坂道だったら、確かにそれはそれは苦しいに違いありません。
ちなみに坂の頂上まで階段192段。
これだけ坂を上り続けたあとの192段、効きますよ。
登り終わったときは、太ももが橋本聖子くらいになっている自信がありました。
猿も滑る危険な坂
橿の木坂を登り終えると、見晴し茶屋があります。
今も昔も、さすがにここでひと休みする人が多かったのでしょう。
迷いました。
すごく迷いましたが、ここも通過します。
なぜなら、さらに少し先にある「甘酒茶屋」で名物の甘酒と餅を食べたかったからです。
ここで中途半端に食べてしまったら、食べそびれてしまった昼食を今まで我慢していた意味がなくなってしまうのです。
膝の屈伸とアキレス腱伸ばしを30回やって、再び果敢に勾配を攻めます。まだ負けねーぞ、箱根め。
これが見晴し茶屋付近からの眺め。
標高はこのあたりで約600m。よっしゃ!かなり登りつめてきたぞー。
と思ってたらまたこんな看板出てきたよ。
猿も滑るほどの坂だってよ。もう勘弁してくれ~
見上げれば美しいはずの紅葉も、あまり目に入ってきません。
本当にこのあたりではめまいで倒れるかと思ってしばらく階段に座り込んでいたくらいです。
しかししかししかし、苦難にも必ずゴールというものはやってくるのです。
ようやく、念願の甘酒茶屋に着いたのでした!