これプリクラ?さつきさん
今回僕はこれを見るために、ちょうど時期を合わせてこの区間にやってきたわけですが、遠州新居の手筒花火に関しては別の記事に書いてありますので、ご興味がある方はこちらをご覧ください。
> 肉食女子必見?静岡・遠州新居手筒花火が火遊びすぎる
前日は多くの人で賑わった新居の宿場町の横丁を歩いていると、祭りの會所には、昨日使われていた手筒花火が置かれていました。こうしてみると大きさもバラバラなんですね。
遠くの方で笛太鼓の音がすると思ったら、子供たちの祭り屋台が練り歩いていました。実は前日までの派手な手筒花火は前夜祭で、本当はこの日が諏訪神社の例大祭なのです。
今日はこのあと神輿行列があったり、六町廻りとよばれる子どもたちの太鼓台引き廻しや仮装の行列があるようです。
とはいえ、前日のような熱気はなく、のほほんとした小さなムラのお祭り、という風情です。
そのまま旧東海道に出て、新居の宿場町を抜けると、やがて浜名旧街道とよばれる松並木の道がしばらく続き、新居宿の次の宿場、白須賀宿に入る前に、潮見坂とよばれる坂がありました。
登り始めてみると、いやいやけっこうな急坂。ぐんぐんと高度を上げると名前通り、目の前に海が開けてきました。
新居宿は浜名湖と遠州灘に挟まれた低地にあったのですが、この白須賀の町は広大な遠州沖の太平洋を見下ろす高台にありました。
「おんやど白須賀」という建物があったのですが、宿泊施設ではなく、無料休憩所だったので、ここでひとやすみ。幸いなことにここ2日間の最高気温は30℃ほどで、想像していたよりは体にやさしい感じです。
それでも日中、2時間も歩いて軽い熱中症で頭がぼーっとしてたのか、思わず連れて帰りたくなっちゃうような女性を発見したと思ったら、なんと片山さつきさんじゃないっすか!若干プリクラ盛り盛り写真をそのまま使った疑惑ありますが。
夜半にすれ違ったら危うく声かけちゃいそうでしたが、危ない危ない、ここは防犯教育がしっかりしているみたいです。
「いかのおすし」、このあたり特有の防犯用語なんでしょうか?
ゆるやかに坂をくだりながら歩くと、やがて旧白須賀宿の中心部へ。若干古い町並みは残っていますが、わりと地味な感じです。
白須賀の宿場町を抜けると、旧東海道はやがて国道1号に合流し、静岡県から愛知県に入りました。
いやー、長かった、静岡県。
ふらっと完歩なので歩いた順番はバラバラなのですが、静岡を抜けるために、のべ10日くらいかかったんじゃないでしょうか。
想像以上の二川宿
愛知に入って最初の宿場町は二川宿。ここは想像以上にいい町並みでした。
歌川広重 東海道五十三次 二川 │ 周辺は長丁場の丘陵地帯。当時の旅人も苦労したことが伺えます。そんな道中、二川宿のかしわ餅屋が繁盛したようです。
まずは駒屋という商家跡。なんでもここは最近修復オープンされたばかりの新しい施設のようです(※当時)。この商家「駒屋」の公開により、二川宿は本陣・旅籠屋・商家の3か所を見学できる日本で唯一の宿場町となったのだそうです。
この建物の脇路がこんなしゃれおつな石畳に整備されていて自然と奥に進みたくなっちゃいます。
駒屋の敷地内はかなり広くて中庭の休憩スペースのほか、カフェや土産屋もありましたが、個人的には駒屋の中庭から見えた廃屋のようなものがとても気になります。
木造の小学校にしてはコンパクトだけど、一般の民家にしてはかなり大きい。駒屋の隣りに東駒屋という味噌醤油やさんがあるので、きっとその建物なんでしょうけどね。
さらに進むと二川宿本陣跡があったのですが、残念ながら夕方で、すでに閉館していたのでさらっと通過。
本当はこの先あと7,8キロの吉田宿(豊橋)まで行こうと思っていたのですが、珍しく足にまめができたので、二川駅から先は翌日に満ち越します。
翌朝、二川から吉田宿まで暑くなる前に歩いてしまいます。
二川の町並みの背後には山があるため、旧東海道は二川から吉田宿に向けてその山に向かって小高い丘を登り、丘陵地沿いの住宅街を豊橋の市街地に向けてゆっくりと下りながらすすみます。ラジオ体操に向かう子供たちが自転車に乗ってどこからともなく集まってきます。
丘陵地を下り終わると旧東海道は国道1号に合流し、豊橋の市街地に向かいます。1時間近く、ほとんど見どころのない区間で唯一目についたのは、鶴松山壽泉禅寺という三重塔をもつお寺くらいでした。
旧東海道の吉田宿は今の豊橋の町の真ん中、豊橋市役所や豊橋公園に近い豊橋鉄道路面電車の「札木」停留場の付近。
市街地が近づいてくるとこんなマンホールが現れます。路面電車はわかるんだけど、この建物は何だろう?と思っていると、ほどなくそれがわかりました。
ほどなく豊橋鉄道の「札木」電停に到着、ここで今回のふらっと完歩旅は終了としました。