中山道と合流地点草津宿!
水口の宿場を出たのがまだ7時前だったので、今日の旅程のちょうど真ん中にある石部宿に着いても、まだ午前10時すぎ。石部駅に併設の観光案内所のようなところでたっぷりと休憩して再び草津へと向かいます。
ここは国の指定重要文化財、和中散本舗。
家康が腹痛を起こした時、ここの薬を服用し快復したところから「和中散」と名付けられ、その後も道中薬として広く普及した薬を製造販売していたのがこの和中散本舗。この建物は石部と草津との「間の宿」の本陣とされ、東海道名所図会にも描かれているほど有名だったそうです。
石部と草津との中間点近くにある手原駅。東経136度の通る駅だそうですが、いろんな称号があるんですねー。
日本標準時子午線が通ってる東経135度(明石のあたりですね)なら自慢してもいいかもしれないけど、136度ってびみょー。
駅前の石碑を見ながらそんなふうに思っていたら、ジャジャン!とTVのクイズ番組のような効果音とともに赤いメガネの女の子が横から飛び出てきて、僕に突然質問を投げかけます。
「では問題。日本標準時子午線である東経135度が通る明石市と、この東経136度が通る手原駅の日の出の時間差は何分か答えなさい」
「・・・・・えっと、24×60÷360で・・・4分こっちが早い」
「だいせいかーい、ちゅうううううう」
ってなわけないか。。。
そして突然現れたのはUFOじゃなくってカップヌードル!
これはおなじみ日清食品の滋賀工場ですな。わかりやすくていいですよね。近くまで来たらまず迷うことないし。
この立派な建物は田楽茶屋「京伊勢屋跡」。
目川と呼ばれたこのあたりは豆腐田楽発祥の地だったらしく、こうした茶屋が何軒もあったようです。
草津宿の手前、旧東海道からは少し外れた幹線道路沿いにあるのが本家「うばがもちや」。
うばがもちは、400年以上続く草津名物・東海道中でも屈指のスイーツ。
信長に滅ぼされた近江源氏佐々木義賢の3歳になる曾孫を育てるため、その乳母が餅をつくっては売り、つくっては売り、養育の糧としたことから、誰からともなく「姥が餅」と呼ばれたのだといいます。
おひとりさまなので、ミニサイズ買っときました。うばがもちやから旧東海道に戻ると、草津の宿はもうすぐ。
この追分道標は東海道と中山道の分岐点という超重要スポット!ここから三条大橋までは東海道と中山道が合流した大幹線だったんですねー。
歌川広重 東海道五十三次 草津 名物立場 │ 賑わいを見せる当時のうばがもち屋。草津は交通の要所として大変栄えました。
ということは、東海道を完歩して、万万が一、中山道にチャレンジすることになると、ここがゴールってことですかね。。。ま、まだこのあとのことは考えてないのでいいんですが。。。
これが草津宿本陣跡。
草津本陣の周辺は、まわりの店舗も旧道らしく整備されていて統一感がありました。
<番外編>京都名物ロームのイルミネーション!
この日は京都に泊まったのですが、朝早くから歩き始めたこともあり、まだ日が高いうちにゴールしたので、もうひとつ夜の観光に出かけてみたのでした。
それがロームのイルミネーション。
これは京都に本社を持つ「ROHM(ローム)」という半導体・精密機器の会社が、本社の周辺を80万個の電球で彩る恒例のイベント。
企業の社会的貢献活動として、無料で誰もが楽しむことのできる、素晴らしい取り組みですよね。
もちろんしっかり収益を上げている優良企業でなくてはできないことですが、このROHM、超優良企業なんですよ。私、株やってますから、この会社のスゴさ、よーくわかります。
イルミネーションは比較的シンプルで、本社周辺の通りの樹々を彩る電球が中心。隣接した公園に巨大なLEDのビジョンがあり、ちょっとしたイベントが行われているようです。
お一人様だったか京の雅な女が一緒だったかは秘密にしますが、この日はたまたまクリスマスの夜。ちょっとそれっぽい気分になったので、よかったことにしましょう。
あ、うばがもちのところで思いっきりお一人様ってカミングアウトしてましたね。